七夕とそうめん
『子どもと一緒に作ろう!七夕メニュー』は見ていただけましたか?
まだの方はこちらから↓
とっても難しそうに見えますが、考案者曰く、実はちゃんと味付けして作るのは鶏そぼろをつくるくらい!とのことです。是非七夕の日、七夕以外の日にも作って楽しんでくださいね♪
大切なのは美味しく上手に作ることではなく、食を通して子供との時間を共有すること、楽しんで食べることです😋
七夕について調べていたら興味深いこともいろいろとあったので、シェアします☆
小難しい話は…という方は今回はスルーで😁
七夕の由来
七夕の起源は中国で始まった行事です。
端午の節句と同じく五節句の1つです。
日本には奈良時代にこの風習が入ってきました。
牽牛と織女が年に一度7月7日に逢うという漢代の伝説に、裁縫が上達するよう祈願する乞功奠(きこうでん・きっこうてん)の風習が合わさって二星を祭ることからはじまり、ここに我が国古来の行事『棚機津女(たなばたつめ)』の信仰が合わさり現在の七夕を祝う風習ができたといわれています。
七夕には‟そうめん”の歴史
さて、七夕の料理といえば そうめんを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
織姫の紡ぐ糸のようで、オクラを輪切りにして星の形にしてちらせば天の川にも見立てられますね☆彡
七夕にそうめんを食べるようになった由来は索餅(さくべい)という食べ物です。
平安時代には七夕のとき、索餅を織女に供えて祈願して食べる民間の風習があり、これを宇多天皇が宮中行事に取り入れたようです。
索餅とは
では七夕で食べられた索餅とはなんでしょう?
索餅の本場中国では麻花という食べ物として、現在も天津のお土産として有名な食べ物のようです。
この写真は中国の方から写真をとってもらった本場の索餅ですが、そうめんとは似ている…⁉ような、似ていないような…
味はとっても甘く固めのようです。見た感じ揚げパンのようなイメージですね。
長崎の南京街のお土産で『よりより』というお菓子をいただいたことがありますが、これは形は小麻花に似ていて、とーーっても硬いビスケット(甘さ控えめ)のようなものでした。
本場とは少し違うようですね。
索餅から素麺へ
索餅が日本に伝わったとき「麦縄」(縄状の小麦粉という意味)という日本名がつきました。
小麦粉にさらに米粉を足し、熱湯と塩を加えて練ったものを平らに伸ばして蒸したこの粉餅を、細長くきって「めん」にしたようです。
今のそうめんやうどんとは材料も製法も違います。
平安時代から鎌倉時代にかけて、小麦粉のグルテンを利用して米粉の代わりにつなぐ新しい製法が中国から伝わり、現在のうどん・そうめんの原型となりました。
グルテンでつなぐ「めん」は蒸して「餅」にする必要がないため、「索餅」ではなく「索麺」と呼ぶようになったようです。
鹿児島でそうめんといえば…
さて夏にそうめんといえば『ながしそうめん』を想像する方もいるかと思いますが、鹿児島では
そうめんながし
が有名です!
県外の方は竹を割ったところにそうめんを流す、流しそうめんを想像しますが、
鹿児島はぐるぐる回った水流のところにそうめんが流れている‟そうめんながし”。
中央は(写真見えにくいですが💦)桜島をイメージ🌋
さすが鹿児島ならではです!
七夕だけと言わず、是非この夏は涼を感じられる『そうめんながし」を訪れて、そうめんを堪能してみてはいかがでしょうか♬
参考文献
- めんと和菓子の夜明け 索餅の謎を解く 松本忠久
- 五節句の楽しみ 七草・雛祭・端午・七夕・重陽 冷泉為人